欧州ライダー通信 第2回:規制が消す一台——ヨーロッパは今、何を手放そうとしているか
Euro5+が一部モデルを静かに葬り、規制はさらに一段厳しいOBDの段階へ進もうとしている。欧州で暮らして学んだのは、規制は敵でも味方でもないということだ。手放すものの話をしたい。
この記事の注目ポイント
- Euro 5+は2025年から既存型式にも適用され、OBDなどの要件強化が欧州向け二輪の商品継続を左右する。
- 規制を性能低下だけで語らず、排出削減、開発費、旧車文化、選択肢の変化を同じ地図で考える必要がある。
前回はロンドンで見たEVと都市の話を書いた。今回はその裏側、内燃機関の側から欧州を眺めてみたい。ここ数年、向こうのバイク雑誌を開くたびに「生産終了」の四文字が増えている。派手な事故でも不祥事でもない。理由はたいてい一行、「排ガス規制に適合できず」だ。2024年に適用が始まったEuro5+は、基準そのものは前の世代と劇的に変わったわけではない。だが車載式の自己診断——OBDの要求が一段上がり、それに載せ替える開発費を回収できない少量生産のモデルから、静かに姿を消していった。そして報じられているところでは、規制はこの先さらに厳しいOBDの段階へと進む。欧州で暮らして学んだのは、規制は敵でも味方でもない、ということだ。それは社会が何を優先するかの、剥き出しの表明なんだ。
日本にいると、排ガス規制は「メーカーが技術で乗り越えるべき試験」くらいに見えるかもしれない。だが向こうの感覚だと、話はもっと生々しい。ロンドンにいた頃、ULEZ——超低排出ゾーンの拡大をめぐって、街は本気で割れた。環境を守れという若い世代と、これは車を持てない層への新しい税だと怒る郊外の労働者。バイクはその両方の隙間に立たされている。四輪より汚さは少ないのに、規制の網では四輪と同じ土俵で語られがちだ。社会との関係でいえば、欧州の二輪はいま、環境政策の善意と、モビリティの自由という古い理想の、ちょうど断層の上に置かれている。誰かを悪者にすれば済む話ではない。そこが難しいところなんだ。
では、何が消えていくのか。まず割を食うのは、小排気量と、少量生産の個性派だ。年に数千台しか売れないのに、規制対応に大手と同じ開発費がかかる。すると採算が合わず、真っ先にカタログから外れる。皮肉なものだと思わないか。環境負荷がいちばん小さい小さなバイクや、文化的に豊かな変わり種ほど、経済の論理で先に淘汰されていく。残るのは、開発費を薄く広く回収できる大排気量の売れ筋か、いっそ電動へ舵を切ったモデルだ。ヨーロッパの街角から、ある種の「ちょうどいい不合理」が、ひとつまたひとつと消えている。私はそれを、環境のためだと頭では理解しながら、胸の奥では惜しんでいる。事実として規制は正しい方向を向いている。だが感情として、失われるものの目録を、誰かが書き留めておくべきだとも思うんだ。
誤解しないでほしい。私は規制反対論をぶちたいわけじゃない。空気はきれいなほうがいい。子どもたちが吸う空気なら、なおさらだ。ただ、規制を語るとき「守られるもの」ばかりが数えられて、「手放すもの」が数えられないことに、ずっと引っかかっている。ヨーロッパは今、環境という未来のために、二輪文化のある部分を静かに前払いしている。その勘定書きに、消えた一台一台の名前を書き添えておきたい。それが、向こうで長く暮らした人間の、せめてもの役目じゃないかと思っている。次に街で見かけた古い一台が、もう新車では買えないのだと知ったとき——その寂しさを、ただの懐古で終わらせないために。
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